2021年2月4日 更新

2020年11月20日 更新

2020年ロッキーチャレンジ賞受賞者 金城さくら氏記念講演 【 要約版 】を掲載しました



麻酔科医とは?

私は麻酔科医として、カリフォルニア大学サンフランシスコ校麻酔科に勤務しています。麻酔科医は周術期(手術前・術中・術後)管理のスペシャリストとして、ずっと患者様のそばにつきそい、刻々と変わる状況下、細心の注意を払って迅速な判断で、蘇生や集中治療、全身状態の管理、そして痛みの管理(疼痛管理)を担う職業です。



志・外界志向


麻酔科を選んだ理由

理想としていたのは、たとえば飛行機内でドクターコールがかかった時、胸を張って手を挙げられる、そういう医者です。そして、その時その場で一次救命処置を的確に施せる麻酔科医を目指したのです。


アメリカでどうして研修をしたかったのか

学生時代、外科の患者さんで肝移植のために渡米の準備をしている方がいました。当時、脳死判定基準がない日本では移植が無理だったからですが、その準備中に亡くなってしまわれました。そのことが、すごく悲しくて、残念でした。だから、どうしてもアメリカに渡って(当時の日本にとっての)未来の医療を見てみたくなったのです。


外界志向・挑戦


ECFMG Certificate(米国内診療資格許可証)取得

そのために私は臨床留学を選択し、まず、アメリカの医師国家試験に挑戦し、ECFMG Certificate(米国内診療資格許可証)という資格を取得しました。取得は難しく、現在、日本人麻酔科医はアメリカ全土で20人未満だと思います。


100通応募、
3校からしか面接に呼ばれなかった

資格取得後、ありとあらゆるプログラムに応募しました。たぶん100通くらいは応募しました。外国人がポジションを取るのは難しく、麻酔科が入りやすかった時期にもかかわらず、面接に呼ばれたのは…最終的に3校だけでした。私は、テキサス大学ヒューストン校を第1志望としました。


アメリカでの研修 – ヒューストン

臨床研修先は救急病院でしたので、アメリカならではの、銃の外傷や派手な外傷といった外傷患者が絶えず運ばれてきました。3年間の麻酔の研修期間中、過酷な現場の中で奮闘し続けました。(当直室がヘリポート側にあったため)当直のときなどは、ヘリポートにヘリが近づいてくる音を聞くたびにビクビクしていたのを覚えています。これ以上トラウマ(外傷患者)は見たくない、救急病院ではもう働きたくない、とさえ思っていました。


念願の移植麻酔を経験

そんな日々の中、嬉しかったのは、念願の肝臓移植の麻酔を経験することができたことです。さらに無輸血の肝移植に携われた時には驚きとともにアメリカの底力を思い知りました。ひとつひとつのステップ、ひとりひとりの力、チーム医療の大切さを痛感しました。そして、移植を通じて患者様の人生における重要なことに関われる喜びを知ることもできました。


不測の事態 -
Tropical Storm Allison 病院封鎖1ヶ月

2001年、私が卒業する直前、台風で街の80%が浸水しました。車が運転できない、電話が通じない。そして、停電で病院中が真っ暗ななか、人工呼吸器等も動かないので手でバッグを揉んで呼吸を助けたりしました。その時は軍隊も総動員して、ヘリコプターで患者様をすべて引き揚げて他の病院に移動させました。病院は1ヶ月間封鎖となり、私たちは他の病院に引き取られて、そこで研修を無事終えることができました。


臨床研修後、金城さくら氏は2year ruleの義務を果たすため、いったん帰国し母校・琉球大学医学部麻酔科助手として勤務後、再渡米を果たす ~ 「女性医師のための医学留学へのパスポート」寄稿記事参照


Dream Job – UCSF麻酔科

現在、私が勤務しているUCSF(※ カリフォルニア大学サンフランシスコ校の略。以下、UCSF)麻酔科というのは名門中の名門の麻酔科学講座です。また、指導医だけで100人以上、全体で合計400人に及ぶ大所帯でもあります。前主任教授がドクター・ロン(※ ロナルド)・ミラーとおっしゃる方で、この方は『Miller’s Anesthesia』という、麻酔科医のテキストブック(教科書)であり、バイブルとも呼ばれている本を書かれた方でした。まさに夢のような職場です。


就職後4年目に
Anesthesia Medical Directorに抜擢

UCSFに移って四年目に、UCSFの中で新しい手術場を作ることになりました。患者中心の医療をするために1箇所で必要な全ての医療サービスが受けることが叶えられるような施設で、私はそこの手術場の責任者として抜擢されました。他に男性2人が候補でいましたが、整形外科からの強いプッシュで私が選ばれました。


ガラスの天井はあるか?

(アメリカに)ガラスの天井はあるかと問われれば、私の実感としてはまだあると思いますが、日本に比べるとずっと薄いとは思います。

※ ガラスの天井(glass ceiling)とは、資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁である 。Wikipedia 解説より




夢を叶えるためのアドバイス



Vision Boardを作る

自分の夢、希望、行きたい場所などを視覚化して、それを潜在意識に刷り込みます。


目標到達のためのリサーチを徹底的にする

いつまでに何が必要か、どうやって叶えるか、それをやった人がいるか。目標に到達するまでに具体的に何をするべきかを徹底的に考えてみる、ということです。できれば、アドバイスをもらうというのがいいと思います。


Dreamerではなく, Doerになる

夢だけではなくて、何々する!って決めることが大切です。目標達成は難しくないと何度も自分に暗示をかけて、何々する、と決めるところから全てがよくなって、いい方に向かっていくようになります。これは間違いないです。


辛い時は花を咲かせるための準備期間

それでも一所懸命やってうまくいかない時は、たくさんあります。種を蒔いて、お水をあげて肥料をあげる、細かい温度設定もする。花を咲かせるためには準備することがたくさんあるわけです。試験、就職に全部受かる必要全くないです。あなたの体はひとつ、1箇所だけで大丈夫です。自分を責めないで、頑張ってほしいと思います。


人事を尽くして天命を待つ

私はこの言葉が好きです。あとはよい結果を望むだけという気持ちになれるまで、後悔を残さず限界までやるだけやって自分を完全燃焼させるのです。


チャンスを逃さない

常日頃からチャンスに備えて準備をして、アンテナを張って、それが自分にとって大切なチャンスだと確信したら、前からタックルして捉える。虎視眈々と次の機会を伺って、履歴書のアップデートを怠らず、履歴書送ってくださいといわれたら、次の瞬間に送る。アメリカ人は、それぐらい、みんな、準備!をしています。


How to survive in the U.S.

あなたが目指すものがアメリカにあるなら、アメリカで生きていくためには、まず、柔軟性、好奇心、仕事をきちんとこなす責任感をもつことが大切です。そして、日本人にもっとも必要なものは、プレゼンテーションとディベートの能力です。アメリカでは小学生の頃よりプレゼンテーションの練習をしています。与えられた時間の中でテーマを決め、最初にどうやって聴衆の心をつかむか、そしてそのお話をどういう風にまとめるかという練習を日本の教育にもどんどん取り入れると良いと思います。


In order to be irreplaceable, one must always be different.

by Coco Chanel

最後にフランスのココ・シャネルの言葉を贈ります。かけがえのない人になるために必ずしも人と同じような生き方をする必要はない。自分のニッチ(※ niche = 得意分野)を築き、そしてそれによって周りから大切にされるような人になりなさい、そういう風に生きていきなさい、と。私はそう理解しています。



今後とも沖縄から多くの人材が輩出され、沖縄日本のみならず、世界を活性化できる人がでてくることを望んでいます。私も微力ながら、今後、後輩たちのお世話をしていきたいと思っていますので、質問等があったら、どんどんコンタクトしてきてください。本日はありがとうございました。

2020年11月7日(土)YouTube配信「2020年ロッキーチャレンジ賞受賞者記念講演」より

配信動画アーカイブ:https://youtu.be/-22X8ou7duY
※ 琉球大学地域連携推進機構YouTubeチャンネル内















2020年11月9日 更新

2020年ロッキーチャレンジ賞(第11回)を金城さくら氏に授与

2020年ロッキーチャレンジ賞(第11回)受賞者 金城さくら氏

 

 

仲村巌チャレンジ基金では仲村巌チャレンジ基金では、「2020年ロッキーチャレンジ賞」を米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校麻酔科講座臨床教授 金城さくら氏に贈呈することとし、11月7日(土)、「2020年ロッキーチャレンジ賞」の授与式および記念講演を琉球大学地域連携推進機構YouTubeチャンネルにてストリーミング配信いたしました。

 

ストリーミング配信時の会場の様子(Facebook配信映像より)
画面左に仲村巌ロッキーチャレンジ賞代表、画面右の大型モニター内に金城さくら氏
ストリーミング配信時の会場の様子(Facebook配信映像より)
画面左に仲村巌ロッキーチャレンジ賞代表、画面右大型TV内に金城さくら氏

金城さくら氏は沖縄市の出身で、コザ中学校、昭和薬科大学付属高校、琉球大学医学部を経て、現在は米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校麻酔科講座臨床教授として臨床並びに医学教育者として活躍されています。仲村巌チャレンジ基金では金城さくら氏のご活躍と今後のご発展を賞賛、応援すると同時に金城さくら氏の卓越した「外界志向」と「志」および「チャレンジ精神」が模範となり、あとに続く沖縄の若者達の夢と目標形成と挑戦の連鎖が生まれることを期待しております。

ロッキーチャレンジ賞代表 仲村巌

 

ロッキーチャレンジ賞は「外界志向」「志」「チャレンジ精神」の点で、沖縄の若い人材の目標となる個人、または、グループを賞賛し、その活動を応援するため、賞金100万円と表彰楯が贈られます。

 

事前に贈られた受賞楯を手にする金城さくら氏(zoom映像より)
事前に贈られた表彰楯を手にする金城さくら氏(zoom映像より)

金城さくら氏の受賞あいさつ(要旨)
「このたびは大変名誉な賞をいただき本当に光栄に思っております。この賞は今まで支えてくれた家族、夫と息子の愛とサポートのおかげだと思っております。今回の受賞はとくに9年前に亡くなった父が一番喜んでいると思います。父は皮膚科の医師として地域医療に尽くしましたが、コザ保健所長として働いていた頃、米軍の要請で沖縄の梅毒撲滅のためにワシントンの国際学会へ参加したことがありました。ワシントンで日本から贈られた桜の並木が華やかに咲き誇っているのを見て、父は、私に『さくら』と名付けました。いつしか日米の架け橋になってもらいたいという夢があったそうです。海外に住んでみて、沖縄あるいは日本を外から見ることができて、その良い点悪い点などがよりはっきり見えるようになった気がします。今後は世界に羽ばたく人材が沖縄よりどんどん出てほしいと思います」

※ 金城さくら氏の父親である金城重二氏は1959年よりコザ保健所に医官として勤務、1962年からは同保健所所長を務めた。その後金城皮膚性病科医院を開院、地域医療に貢献した。

授与式後は金城さくら氏より「アメリカで医師として生きる」と題した受賞記念講演が行われ、自己紹介、アメリカに渡った経緯、アメリカでの麻酔研修、現在の仕事内容等について語っていただきました。

記念講演時の金城さくら氏(zoom映像より)
記念講演時の金城さくら氏(zoom映像より)

 

金城さくら氏の紹介(抜粋・要約) 喜納育江氏(琉球大学学長補佐)
「金城さくら先生は現在の職場での後輩の指導はもとより、日本の麻酔科学会からも指導者として招聘されるお立場になられています。それでも、いつでも医師である以上、患者様に最高の医療技術を提供できるようにと日々ご研鑽に励んでおられます。すでに目覚ましい研究業績、そして、臨床経験を有しておられる金城先生なんですけれども、その成果を国境を超えて、ひとりでも多くの医師に伝えていくというご自身のミッションのもと、今後ますます国際的なご活躍が期待される方だと思っております。医師を目指している若手の方、将来海外で活躍したいという目標を持ってらっしゃる方、とくに女性の方々にとっては金城さくら先生のような素晴らしいロールモデルがいらっしゃるということは大きな励みになると思います」

 

受賞理由の説明(抜粋・要約) 牛窪 潔氏(琉球大学副学長・地域連携機構長)
「琉球大学医学部ご卒業後、医師国家試験に合格され、在沖縄米国海軍病院にてインターン研修ののち、琉球大学医学部麻酔科に勤務されました。その間に、アメリカ臨床留学のための資格に相当するEducational Commission for Foreign Medical Graduatesを取得され、その後、米国のテキサス大学、カリフォルニア大学サンフランシスコ校、カリフォルニア大学デービス校等で麻酔科医として勤務され、現在、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の臨床教授として、学生やレジデントの教育、臨床研究の指導に精力的に取り組まれておられます。このような麻酔科領域における成果が評価されまして、一昨年、世界一規模の大きいアメリカ麻酔学会では神経ブロックのワークショップ等を担当され、多くの麻酔科医を指導なさり、高い評価を受けられています。金城さくら先生は沖縄のご出身で医学領域における日米学術交流の担い手として活躍されており、外界志向、志、挑戦、という3つのロッキーチャレンジ賞の評価基準にふさわしい人物であるということが選考委員会全員の意見として認められまして今年度のロッキーチャレンジ賞の受賞者として決定するに至りました」